2010/3/31
第6回
終了式
2010/2/26
第5回
耳成南・耳成小学校3年生
との交流
2010/2/17
第4回
橿原園にて「介護」について
学ぶ
2010/2/14
第3回
ディスコン大会
2010/2/6
第2回
耳成子供教室に参加
2010/2/2
第1回
耳成小学校3年生
3クラスとの交流
2009/12/17
第8回
健康生きがいづくり
新旧住民との交流
2009/11/24
第7回
魏志倭人伝より「邪馬台国」を探そう
2009/10/29
第6回
今井町の由来とその町並み(伝統的建造物)
2009/9/29
第5回
健康生きがいづくり・栄養と健康・笑いと健康
2009/7/28
第4回
絵本づくり(紙芝居)
2009/7/28
第3回
地域の先輩から学ぶ
~上品寺町の歴史と文化~
2009/6/25
第2回
学級会
東竹田町にある橿原市の
リサイクル館・浄化センター見学
2009/5/30
第1回
橿原市地域学級合同開講式
2010/3/31
平成21年度 終了式
有終を飾る「かがり川散策」と「花語り」そして終了式
「みみなし地域学級活動」は3回目の有終を飾る節目を迎えた。
その日は3月30日(火)で、その前後が定まらない天候の中でこの日だけが終日快晴に恵まれた。気象予報官はこの日の予報を「限定快晴」との言葉で報じた。寸分違わぬ天気予報でびっくりした。
市の福祉施設の「やわらぎの郷」に午後1時に集い、この限定快晴に存分に甘えようと心を無にして大和三山に二上の山を添えての大和盆地の早春を「かがり川堤を散策」し、菜の花の黄色にくれないが染めやる風情を満喫して終了式に臨む。 2階の「耳成」のお部屋が会場で、仲川学級長さんの心馳せが伺え、さらに、床に懸かるお軸に「無心帰大道」の五文字に今しがた一行が、かがり川堤の景観に心の楽しみを味わったその醍醐味を再び語りかけて下さっているように覚えた。
この学級活動は、とかく等閑になりがちな、地域を知り、人を知り、温情を知り、和を知り、己を知るに目覚め生きるに役立つ勉強会と言える。いつになっても大切な知と徳と体の調和のある成育への自己開発を試みることに役立ちました。
平成21年を省みて、昨年の5月30日に開講して、パソコン教室を加えて14回の活動実態で「学ぶ」「交わる」「楽しむ」「守る」「鍛える」の各分野に亘っての研修と習得に成果のあった報告に熱がこもった。 思うに人間はいろいろな周縁に生き生かされ、日々に充実を求めて自他ともどもの共栄をねがうものであろう。来期の活動にも続いて参加してよりよい活動内容の構築に衆知を集めて素晴らしい果実を求めようと約束し合って午後4時に閉講する。
仲川学級長さん
山田理事長さん
一口に1年と、365日といいますが、21年度の活動実績のまとめをみて、改めてお世話方の大変であったことに感謝し、御礼を申し上げます。 昨日の記録を綴りました。ご参考に。 春寒末だ。一層のご自愛を念じつつ。
10.3.31 すえよし
2010/2/26
耳成南・耳成小学校3年生との交流
2/2・2/6・2/26と3回にわたって地域の子供たちとの交流を行った。
耳成・耳成南小学校では3年生の正規授業で地域の民話を紙芝居にして岡林さんが
演じた。吉川さんの家に残る昔の暮らしと道具を展示して紹介。
昔の小学校の建物や授業風景など中川さんのアルバムから紹介。
耳成地域の今と昔の写真などそれぞれパワーポイントを使って子どもたちに紹介した。
子どもたちは画面が変わるたびに歓声をあげていた。
鎧や兜、等昔の道具を間にあたりにして目の色を変えて見入っていた。
2010/2/17
橿原園見学・介護について学ぶ
園長の大森岩一郎の案内のもと社会福祉法人 橿原園を見学、介護について学んだ。
・橿原園は養護特別老人ホームであるが、一部特定施設である。(介護保険対象)
・定員80名
内、 41名 介護保険の認定受けていない人(自立できる)、39名 介護保険の利用者(介護必要)
・入所待機者 全国40万人 奈良県4000人
・入所制限 65歳以上、特例はある
・行政がかかわっている施設である。申し込みは市町村へ→許可が出ると→入所
・入居状況は橿原市内はもちろん、市外、県外の人もいる(子供等親族が近くに居住しているため)
・橿原市には5カ所の養護老人ホーム、橿原園、かなはし苑、桃寿園、香具山インパルス、橿原の郷が地域的に南西部に偏っている。土地の価格の問題があるのではないか?
・今後の課題
1 厚生施設の設立が必要
2 介護予防が必要ー2015年~2035年になると団塊の世代の人が対象となり、運営が難しくなる。
・園内見学
2010/2/14
ディスコン大会
橿原中央公民館で健康生きがい塾の人たちと合同で実施した。
3人1組のチーム分け後、A・Bブロックに分け試合をした。
2010/2/6
耳成子供教室に参加
詳細は2/26の欄を見て下さい
2010/2/2
耳成小学校3年生3クラスとの交流
詳細は2/26の欄を見て下さい
2009/12/17
健康生きがいづくり 新旧住民との交流
橋本哲夫氏と松本氏を講師として迎え、みみなし地域学級生と地域住民が合同で耳成地区公民館にてディスコンを行った。
ディスコンとは
1、だれでもできる室内競技
2、幼児から高齢者まで、幅広い年代でプレイできる
3、簡単ではあるが奥が深い
4、個人戦・団体戦(2~6名)
5、1投で形成が逆転することもあるので最後まで勝負は分らない
という特徴を持つ軽スポーツである。
講師の方から簡単にルール説明を受けた後、チーム分けを行い4チームに分れ、2面のコートで対戦した。
ゲームをすることで、自然にコートの内外を何回を動き回り、またどこへ投げると一番有利か等、勝つためにはチームワークや戦術も必要である。
(※以下仲川学級生の感想)
・初めてされる方が多かったが、それぞれゲームを楽しんでいた。
・地域住民2名が参加されたが、地域住民との交流をさらに深めるためには地域に対し情報発信力を高め、こまめに発信することも重要である。
・また毎年、定期的に根気よく続け、交流の輪が広がればと思う。
・今年、奈良県ディスコン大会に1チーム(橿原市で唯一)参加したが、これを機会に平成22年度の県大会に2チーム以上参加できればと期待している。
2009/11/24
魏志倭人伝より「邪馬台国」を探そう
橿原市ボランティアセンターの東谷吉隆先生から、講演を聞く。
先生は邪馬台国・九州説を主張され、その根拠を魏志倭人伝(魏と倭との外交関係が成立し郡使一行が倭国へ訪問した時の訪問ルートや風俗を陳寿が倭人の条を 編纂したもの)魏(中国)~帯方郡(韓)~邪馬台国(倭)へのルート、特に帯方郡から邪馬台国の末廬国(佐賀県)に上陸後は渡海していない。機内説は考え られない。
その他、温暖で冬も夏も生野菜を食べている。又漁業も盛ん、子どもも大人も顔や体に刺青している等の記述により大和説は成立しない。
(※以下宮崎学級生の感想)
纏向遺跡、(邪馬台国=畿内説)の話を予想していた。 しかし、東谷吉隆氏の資料に基づく邪馬台国の九州説であった。 詳しい説明を聞くにつれ本当の邪馬台国は何処にあるのか?畿内か、九州か、永久に不明か?ロマンは何時まで続くのか? 幸いにもこの11月に発掘された纏向遺跡より畿内説が正しかった事が証明されることを信じています。
2009/10/29
今井町の由来とその町並み(伝統的建造物)
学習内容
(※以下末吉学級生の感想)
10月分の勉強会は、わが郷土の歴史「今井町にみる伝統的建造物群を観る」をテーマにして「今井 町の由来とその町並み」を巡検する。29日、木曜日。穏やかな秋日和に恵まれて午後2時に近鉄橿原線の八木西口駅に15名(男7名、女8名)が集まり、同 級の中村さんのご案内で「今井町めぐり」をスタートする。中村さんは、開口一番に今井町は四周を環濠土居を築いた東西600メートル、南北310メートル の城塞都市で、さっと眺めまわるだけだと30分で済みます。しかし、今日は折角のお勉強会ですので180分間を設定しました。
ときに、その時代の、江戸時代にタイムスリップして今昔の境を学んでくださいとの言葉に始まって、淀みのな いご説明にほだされ、家々の佇まいにときの人々の生業の実相を垣間見て関心と感動に浸りました。いずれの家も玄関間口から奥座敷に至る間の部屋が用途ごと に高低のあることにその時代を感じさせられました。小僧や丁稚たち方の寝床間は大概が梯子を利用して用を足し、必要以外はとり外して勝手な行動ができない ような仕組みになっているのは、お預かりした地方からの奉公人の生活習慣の健全と安全を期したものであると理解をした。いずれの案内をひもとくに今井町は 「かつて、大和の金は今井に七分と言われるほどに繁栄した町で、今も、町の大半の町家が江戸時代の姿を残している」と記されている。また、「江戸時代には 自治的な町政のもと南大和最大の在郷町として大いに栄えた」と書かれていて、中村さんの懇篤なご説明に一人ひとりが聞く、見る、するの体験を通じて、今井 町は、伝統に生き、明るく、自由な町という印象を深くした。
2009/9/29
健康生きがいづくり・栄養と健康・笑いと健康
奈良県健康生きがいづくり協議会会長 小池喜四郎氏・白鳳女子短期大学地域看護科保健師 三浦康代氏を講師として招き、「健康生きがいづくり=生き生きと年を重ねる=食事と健康」という題でお話を伺いました。
1 『年を取らない』と言う考え方を『上手に年をとる』という考え方に変えて人生を自らプラス思考に高めてゆく。
言葉・言語から自らを励まし、相手(すべての他人)を尊重しあう統計的に表れている平均寿命を目指すのではなく願望寿命、元気寿命を目して心(脳→前向きなプラス思考の考え方と感謝)と体(食事と体を動かすこと)を鍛える。
そして「としだから」と遠慮をしないで前進する
2 スライドによる全国、奈良県の最近の統計による生活の実態と環境を踏まえ改善の道を探る
(※以下中村学級生の感想)
統計を用いての話は自らが今どのあたりに値するのかそれを今後どのくらいまで高めるまたは引き下げる必要があるのかを考えさせてくれる。また、わが街橿原市の統計を説明してもらったことで初めて聞く受講者にとっては耳新しく興味が持てたと思う。
2009/8/1
絵本づくり(紙芝居)
2009/7/28
地域の先輩から学ぶ ~上品寺町の歴史と文化~
村田先生の略歴
小学校教員13年、奈良県教育委員会勤務14年、小学校長13年、王寺町教育長8年の経歴が示すように教育分野についての造詣が深く、また、69歳で教 育現場から退いた後も、14年間にわたって、耳成地区自治連合会会長や倉橋溜池土地改良区理事、橿原市農業委員等の要職を歴任し、地域の発展に貢献され た。
1 上品寺の今昔
上品寺町の名称の来歴、碁盤目状の耕地整備等の地勢、町の沿革、昔の灌漑用水や治水及び隣接する村との水争い等の状況、大阪軌道の乗り入れ(大正15 年)時の様子や鉄道の開通に伴う町の発展、また、所謂、生産緑地決定の裏話し等先生が91年間に見聞し、体験した町の変遷についての貴重な話を伺った。
2 シャカシャカ祭りについて
配布資料「上品寺(じょうぼんじ)町ーシャカシャカ祭り(橿原市史抜粋)」に基づいて説明を受けた。
祭りに際しては、新旧住民との交流に配慮している。とのことである。
祭りの起源については、いつ頃かは定かでないが、町内に鎮座する八坂神社で発見した明治5年と書かれた木簡から、少なくとも明治初期には祭りは行われていたものと考えられている。
この行事のいわれとしては、一般的には資料に記載のとおりであるが、村田先生は、「上流の村との水争い」「ため池の訴訟に絡む所有権」「小字名に小別当や 寺脇など寺に関係するものが多いことから、寺の僧兵が治水工事で村人を救ったという記念や、亡くなった人々の供養のために築いた塚」という三つの説も考え られる。と話されていたが、いずれも「水」に関係しているところが興味深い。
3 健康の自己管理
現役当時は、「夢をもって、がむしゃらに向かい、望ましい状態にまとめる。」の意気込みでやってきたが、今は「無理せず、あせらず、怠らず」をモッ トーに毎日、木刀の素振り100回を欠かさず、身体を動かすことに努めるとともに、趣味の写真や旅行を楽しみ心身のリフレッシュに心がけている。
2009/6/25
東竹田町にある橿原市の「リサイクル館」「浄化センター」見学
平成13年竣工の粗大ごみや不燃ごみ、ビン、缶、プラスチックなどの資源ごみ等の処理施設「リサイクル館かしはら」と平成19年3月に完成した、し尿・浄化槽汚泥高度処理施設「橿原市浄化センター」の2か所を見学した。
「リサイクル館」では担当者から「橿原市で1年の間に出るごみの量として生ごみ37000トン、粗大ごみ7900トン、不燃物490ト ン、ビン缶1200トン、ペットボトル180トン、古紙5000トン、そのほか子供会など集団回収しているのが3400トンあると説明を受け参加者一同唖 然とした。そのごみの大半をここで処理またはリサイクルしているとのことであった。
「浄化センター」では以前は和歌山県の海上沖合に捨てていた汚泥も政府から環境対策として自前で処理しなければならなくなり2転3転したがこの地の建設す ることができた経緯等の説明を受けた。きれいに浄化され処理水は飲んでも差し支えないとのことで2,3人の参加者が試飲していた、この水は消毒され寺川に 放流されているが川の水よりもきれいとのことであった。
2009/5/30
橿原市地域学級合同開講式
9:30分より万葉ホールで開催。
開講式の後大阪府堺市社会教育委員 大崎重治氏より「地域を支える人づくり」と題した新桧尾台自治会の活動状況を聞き大いに参考になった。
終了後場所を中央公民館会議室に移し第1回みみなし地域学級会を開いた。
新入会員14名継続会員14名合計28名のクラスメイトとなった。新入生の自己紹介の後、新役員の選出を行い下記の役員が決まった。
第2回「地域内の施設を学ぶ」は6月25日午後1時より東竹田町にある橿原市の施設「リサイクル館」「浄化センター」を見学することに決まる。